茶道・お茶の歴史

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今では日本の作法として根付いている茶道。ただ、お茶をたてて楽しむだけではもったいないですよ。茶道にはどのような起源があったのか、そしてどのように伝わっていったのかを知れば更に深く楽しめると思います。なので今回は茶道・お茶の歴史を簡単にまとめてみました。

1.奈良から平安時代にかけて

お茶はの起源となっているのは、日本が自分たちより進んだ制度や文化を取り入れている中国から様々な事を学び、取り入れようとしていた奈良・平安時代に、遣唐使や留学僧によって伝えられたものだと言われています。
平安初期(815年)に執筆された『日本後記』の中には、『嵯峨天皇に大僧都(だいそうず)永忠が近江の梵釈寺において茶を煎じて奉った』という記述が残されています。

この一文が、日本における日本茶の喫茶に関して書かれた最初の記述だとされています。当時のお茶は非常に貴重なものだったので、僧侶や貴族階級などの限られた人々でなければ口にすることが出来ませんでした。この頃に行われていた茶の製法は、『茶経』にある餅茶であったとされています。

2.鎌倉から南北朝時代にかけて

日本の禅宗の一派である臨済宗の開祖、栄西(ようさい、えいさい(1141-1215))は、二度に渡って、宋に行っておりそこで禅宗を学びました。そこでは飲茶が盛んに行われているのを見聞きした栄西は帰国後、日本初の茶の専門書である『喫茶養生記』を書き、お茶の効能を説きました。1214年に栄西は、深酒の癖のあった将軍源実朝に、お茶を良薬として教え説き、本書を献上したと『吾妻鏡』に記されています。

『喫茶養生記』は、製茶法についての記述もありますが、これは宋代に作られていた蒸し製の散茶の事であり、碾茶の原型とも考えられます。これを粉砕し、そこにお湯を注ぎ、茶筅で泡立てて飲んでいたみたいです。
華厳宗の僧である明恵上人(1173-1232)は、京都栂尾の高山寺に茶を植え、そこで茶を奨励する事にしました。ここが最古の茶園とされており、栂尾の作ったお茶を『本茶』として他のお茶と区別されていました。

時代が鎌倉末期から南北朝にかけた頃には、寺院を中核とした茶園は京都から更に広がりを見せ、伊勢や伊賀、駿河、武蔵でも栽培されるようになりました。
鎌倉時代に入ると、お茶は社交の道具として武士階級にも喫茶が浸透するようになりました。その後、南北朝時代になると、茶を飲み比べてその特徴や味から産地を当てる『闘茶』が行われるようになりました。

3.室町から安土桃山時代にかけて

足利義満(1358-1408)は、お気に入りだった宇治茶に特別の庇護を与えていました。これは後に豊臣秀吉(1537-1598)にも受け継がれており、宇治茶のブランドが形成される要因となりました。安土桃山時代になった時には、宇治で覆下栽培も始まっており、高級な碾茶に加工されていました。

15世紀後半に村田珠光(1423~1502)は『侘茶(わびちゃ)』を創出しました。これを受け継ぐ形で武野紹鴎(たけのじょうおう、1502~1555)や、有名な千利休(1522~1591)らによって『茶の湯』が完成し、豪商や武士たちに浸透するようになりました。

4.江戸時代

茶の湯が完成し浸透されるようになってからは、江戸幕府の儀礼に正式に取り入れられる事となり、武家社会に欠かせないものとなっていきました。その一方で、一般庶民にも飲料としてお茶が浸透していく様子が当時の記録から分かってきたのです。しかし、庶民が飲んでいたお茶は抹茶ではなく、簡単な製法で加工した茶葉を煎じた(煮だした)ものだったみたいです。

宇治田原郷の永谷宗円(ながたにそうえん)は、1738年に製茶方法を更に丁寧な方法に改め、優良な煎茶を製法する方法を編み出したため、後に煎茶の祖と呼ばれるようになります。その製法を使えば、これまでになかった緑色の水色と甘味、馥郁(ふくいく)とした香りを出す事が出来、江戸市民を驚嘆させました。

宗円が生み出した製法は『宇治製法』と呼ばれており、18世紀後半以降は全国の茶園にその製法が伝わり、日本茶の主流となっていきました。その後、より高級な煎茶を開発しようとする動きがあり、碾茶に用いられていた覆下栽培を煎茶に応用する試みが行われました。そして1835年に、山本嘉兵衛(やまもとかへえ)によって玉露の製法が生み出されたと言われてます。

5.明治時代から昭和初期にかけて

明治維新が終わった後も、茶の輸出量は政府の援助によりアメリカを中心に増加し続け、明治20年(1987)までは輸出総額の15-20%を占めていました。
明治初期になると、士族授産事業などを契機に原台地などの平坦な土地に集団茶園が形成されていきました。しかし、茶園開拓をしていた士族たちは次第に離散していく事になり、その代わりに農民達が茶園を継承していく事になりました。理由として挙げられるのは、お茶の輸出価格の下落や茶園の造成に莫大な費用がかかったからだと言われています。

集団茶園の形成は、茶園の形成だけでは終わらず、流通の発展や茶商、仲買人、茶問屋などの今後のための育成、茶業を発展させるための各種機械の発明など、お茶の関連産業の成立に影響を与えていました。

その後、花形輸出品として発展してきた日本茶でしたが、インド、セイロン紅茶が出てきたため、輸出は次第に衰えていきました。しかし、代わりに国内での消費が増えるようになり、お茶は国内向けの嗜好飲料に変わっていきました。そのため、今のようにお茶が日本人の生活に根付いたのは、大正末期から昭和初期と言われており、意外に新しいのです。

6.茶道・お茶の歴史まとめ

茶道・お茶の歴史について簡単にですがまとめてみました。現代ではお茶は誰でも飲める庶民的なものですが、昔は偉い人や貴族でしか飲めないくらい貴重で敷居の高いものだったんですね。茶道を学ぶのであればそういった気持ちを持つのも大事なのかもしれませんね。

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